この記事は、函館圏の事業承継例を紹介する「函館地域承継ストーリー継ぐ人、継がせる人」の記事です。
函館地域承継ストーリー 継ぐ人、継がせる人。
今回は、道南を中心に札幌圏や本州でも土木・建築・建設工事全般を請け負う株式会社森川組の森川明紀常務を取材しました。明治25年創業と道内でも屈指の老舗企業である森川組。函館に根差し、地域社会と共に歩んできた同社を承継される森川さんに経緯や想い、展望をお聞きしました。
【函館地域承継ストーリー#2】
株式会社森川組 常務取締役 森川 明紀(あきのり)さん
道内屈指の老舗企業
ーまずは、株式会社森川組について教えてください。
森川:当社は、明治25年創業の建設会社です。実は取材のタイミングがすごくよくて、今年の4月で130周年なんですよ。
ーそうなんですか!おめでとうございます。周年事業はやられたんですか?
森川:コロナで宴会は厳しいし、お客様に周知するのもと思ったので、社員全員に防災用リュックを配らせてもらいました。
ー創業130年というと森川さんで何代目に当たるんですか?
森川:残っている資料なんかを見ると6代目のはずです。はっきりしないのは、ほら函館って大火が多かったでしょう。燃えちゃって資料がないんです。
ー大火で資料がないっていうのも黎明期の函館を歩んできた証拠な気がしますね。函館ならではというか。創業の経緯はわかるんですか?
森川:初代が森川菊蔵(きくぞう)というんですけど、奈良で生まれて明治10年代に父親の森川菊松(きくまつ)とともに来函しました。江戸から明治にかけてというのは、五稜郭や弁天台場に代表される大工事に関わった優秀な大工や建築業者が、北海道開拓に向けて全力を出している時期です。道路建設や埋立工事といった土木工事のほか、大火のたびに焼失する建物を堅牢なものにしようと先進的な試みも行われていました。菊蔵は一流の職人が集まる函館に魅力を感じたようです。
ー当時の函館は野心にあふれた職人が集まる街だったんですね。
森川:明治20年代になると函館の木材だとか建築といった組合に森川菊蔵の名前が見られるようになります。明治30年代の函館三大工事「函館港改良工事」「函館ドックの建設」「函館山要塞築城」にも森川組として関わったようです。一時期は樺太にも進出していて、樺太神社建立や鉄道敷設・水道工事・宅地造成などに関わった時期もありました。
ー函館だけじゃなくて北海道の歴史というか、もはや教科書で見るレベルですね笑
森川:たぶん函館では一番古い建設業者、北海道でも最古級なんじゃないかなと思います。
ー時代が変わりながらも、建設業を続けているわけですよね。
森川:今は民間の建物や体育館といった公共の建築工事、それから道路や防波堤といった土木工事を主に行ってます。
ー例えばどんな工事を請け負ったんですか?
森川:身近なところだと建築工事ではツルハドラッグさんやスーパーアークスさん、箱館醸蔵さん、FAVホテルさんなど、土木工事では函館新外環状道路や函館江差自動車道、函館空港などを請け負わせていただきました。
ー大規模な工事が多そうですね。
森川:そういうイメージをお持ちの方も多いかもしれません。当社は、個人宅とか倉庫とかそういったものも作ります。建築土木に関わることならどんな工事でも受注できるので、そのイメージは払拭していきたいです。
宿命と向き合った承継
ー初めから継がれる予定だったんですか?
森川:全然笑。大学を出て、最初は冷凍倉庫の会社に就職しました。
ーどうして冷凍倉庫の会社に就職されたんですか?
森川:本当は学校の先生になりたかったんです。だけど、なりたいと思ったのが大学4年生で、教員資格を履修していなかったんですよ。それで通信に通おうかなと。「大学までは面倒見るけど、そこからは自分で稼ぎなさい。」というのが父(森川基嗣 現社長)の方針だったので、とにかく給料の良いところを探して就職しました。
ーどうして先生になりたいと思ったんですか?
森川:子供のころからバレーボールをしていたんですけど、ケガをしてしまって高校生のころには満身創痍というか選手生命としては、終わってしまったんです。でもやっぱりバレーはやりたくて、大学ではバレーボールサークルに入部しました。実力順でクラス分けされる中で、強いクラスに入れてもらえることになったんです。僕としてはケガの問題もあるし、周りにも迷惑をかけてしまうので、辞退したかった。そこでサークルを退部して、新しくバレーを楽しむサークルを作ったんです。初心者の子もたくさん入ってくれて、いろいろ教えているうちに育てるということがすごく楽しくなってきました。それで先生になって人に何か教えたいと思ったんです。
ー大学でやりたいことが見つかったんですね。
森川:そうですね。
ーそこからどうして継ぐことになったんですか?
森川:父から戻ってきて兄弟で家を継いでくれ、兄を手伝ってくれって連絡があったんです。兄が戻って社長になるから、支えてほしいとのことでした。20代前半でまだ遊びたかったですし、東京に友達もたくさんいたので一度断ったんです。父には「函館をよくしたいと思わないのか」とも言われたんですけど、当時はまだピンとこなかったですね。
ーそれでも継ぐことにした。
森川:何度か話があって、宿命というかもうこれは帰れということなんだなと思いました。自分の気持ちを整理して、話を受けることにしたんです。今にして思えば、父は自分の年齢や当時の政治状況、東日本大震災の影響などを複合してこのタイミングしかないと考えたんだと思います。
ー今後は、お兄様と事業を継がれるんですか?
森川:いえ、結局兄は継がないって判断をしたんです。最初は継ぐので1年間猶予がほしいという話だったんですけど笑。
ーでは、お一人で継がれるんですね。
森川:その予定です。本心をいうと社長には向いていないと思っています。
ーどうしてそう思われるんですか?
森川:人前に出るのが得意ではないのと、なんでも思ったことを言っちゃうタイプなんですよね笑。その点は継承に向けて、発言に責任を持って熟慮できる様に努力していきたいと思っています。
継ぐ責任、継がせる責任
ー事業を継ぐわけですが、事業承継についてはどう思いますか?
森川:そうですね、なんというか…僕の中ではある意味生まれた瞬間から決まっているもの、自分が避けようとしても避けられないものというイメージですかね。僕は、そういう家系に生まれたから覚悟を決めて承継しなければならない。それが最大の親孝行なんじゃないかと思ってます。社長の息子に生まれるともちろん得することもたくさんあるけど、我慢しなくてはならないときもある。承継がどちらかと言われると難しいけど、責任はあるところですよね。
ー承継する責任ですか。
森川:経営者が突然なくなると従業員だけでなく、沢山の方に迷惑をかけてしまうと思うんです。そこは考えないといけないですよね。
ー承継させる責任もあるということですね。
森川:承継は、自分だけでなく従業員やそのご家族、関係する皆様すべてに関わる問題だと思うので、いろいろな選択肢をもって、計画的にやらなきゃダメだなと思っています。
函館に根差し、挑戦し続ける
ー今後の森川組について教えてください。
森川:難しい質問ですね。んー当社はBIM/CIMとか比較的新しい取り組みにも積極的に挑戦しているんですよ。BIM/CIMというのは、3 次元モデルを導入することによって一連の建設生産・管理システムを効率化・高度化する取り組みなんですけど、そういう最新の技術は引き続き外注じゃなく自社でやっていきたいと思ってます。例えばドローンとか、今や建設業界では当たり前の技術なんですよ。当社も導入してますけど、技術が普通になったときに「さぁ始めるか」ってやったら遅いですよね。当たり前になる前に取り入れ、いい部分•悪い部分を研究するのが重要だと思うんです。なんでも積極的に挑戦して取り入れていくっていうのを今後もやっていきたいと思いますね。
ーBIM/CIMのような新しい技術にいち早く着目して挑戦していくってことですね。
森川:BIM/CIMは、函館では早めに取り組んだと思いますね。いち早くというよりは三ぐらいだとは思いますけど笑。まぁそれでも全国的にみたら全然遅い。やっぱり函館という地域で東京と同じようにやるっていうのは難しいと思いますよ。
ー地方というのは東京から比べると情報が入ってくるのが遅いですよね。
森川:正直な話、田舎だと情報のインプットに限界があると思います。最新技術を目にしたり、偶然知る機会って少ないじゃないですか。その限界を、自分たちでどう工夫して乗り越えるかなんです。1を聞いて10にしたくても、1を聞くことも難しいし、少ない情報で10にする事も難しい。そうしたら僕らが10をするにはどうしたらいいか考えなきゃいけない。例えば単純に1を20回くりかえしやってみるとか。そう思うとやっぱりまずは挑戦。数をこなせば10にもなるし、なるのが早くなるかもしれない。
ー先生になりたかったというお話もありましたが、教育とか育てるってマインドがどこかにあるのかなと思いました。成長させるためにはどうすればいいかといいますか。
森川:そうなのかもしれないですね。面倒見はいい方だと思うので笑。そういえばさっき130周年になにかって言われた時にぱっと思ったんですけど、社是社訓っていうのをこの機に作り直しました。
ーこちらに飾ってあるものですね。実は少し気になってました。
森川:この社是の2番目は僕が考えたものなんですよ。
ー「一を聞いて十を知るより、一を聞いて一を実行に移す。」ですね。これも少し教育的だなと思っていました。
森川:1を聞いて10を知るよりもまずは挑戦してみよう。頭で考えるより動いちゃった方がいいんじゃないと。先ほどお話した理念を言語化してみたんです。
ー失敗を恐れず、チャレンジしてほしいって思いもありそうですね。
森川:あります。やっぱり結果も大事なんだけど、失敗したときに原因究明することがなによりも大事なんですよ。それが成長へのヒントだと思っています。この社是だけじゃなく社訓の創造と実行にもチャレンジの想いは込めましたね。
ー「創造、誠実、実行、感謝。」ですね。誠実と感謝にはどんな想いがあるんですか?
森川:社是の「心を売り地域に根差し、街づくりにつながる」。これは父の口癖なんですけど、この想いを込めました。
ー心を売るというのはどういった意味ですか?
森川:規模に関わらず、いただいた仕事を誠心誠意、対応するということです。どんな仕事でも、手を抜いた瞬間に会社としては終わり。中途半端にしてしまったら、次から誰も当社を信頼してくれない。
ー誠心誠意対応して信頼を勝ち取るってことなんですね。
森川:やっぱり地域の信頼あっての会社ですし、仕事を通し地域に貢献できるような会社でありたいと思っています。函館から必要とされなくなったらダメなんです。うちが潰れそうになった時に「それは困る」って言ってもらえるような会社でなければならない。その想いを社是に込めています。
ー心売るのと地域に根差すのは一体なんですね。
森川:そうです。だから僕もそれをしっかり引き継いでいきたい。函館で信頼される老舗企業でありながら、新しいことへの挑戦もどんどんしていく。僕は森川組をそんな会社にしていきたいと思っています。
「恥ずかしいので、写真は横顔ぐらいで笑。」とシャイな一面を見せてくれた明紀さん。お話を深く聞くにしたがって言葉に熱い想いがこもってくる様子が印象的でした。函館を代表する老舗企業を明紀さんがどう率いていくのか、今からとても楽しみです。
ライティング 豊島翔
フォト 木村太一
制作・編集 いさり灯編集部
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